目が見えない人と初めて話し、冗談を言い合った

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鍼灸の業界は、身体に障がいがあったり、目が不自由な方が鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師になったりする。自分は学校外で行われている鍼の勉強会に参加したことがあったんだよ。勉強会には、すでに鍼灸師として開業したり、出張の鍼をやられている鍼灸師の先輩方いてね。中には弱視(視力がかなり低い)だったり完全に目が見えない鍼灸師の方がいた。

自分は目の見える晴眼者なので、晴眼者が通う鍼灸学校で学んでいる。けれども弱視だったり目の見えない人たちは鍼灸の特別支援学校、養護学校で鍼灸やあん摩マッサージ指圧を学んでいる。自分は道を歩いている時に、杖をつきながら歩いている人を見かけたことはあってもさ。実際に会話したことがなかったんだ。

鍼の勉強会で初めて弱視や目の見えない鍼灸師の方たちと話すことになったんだけどね。自分も含め、冗談を言えば笑い、明るく元気だったんだ。勉強会の休憩時には、目の見えない鍼灸師の先輩が自分の肩につかまってさ。トイレに連れて行ったこともあった。

例え目は見えなくても相手の身体に触れる。そうすると身体のすべすべしたところやざらざらしたところがある。感覚を研ぎ澄ませ、脈を調べることで相手の状態を知ることができる。鍼の世界は奥が深い。いろんな流派があって中国鍼のように太い鍼を入れる流派もいれば、刺さない鍼で相手の気を整える流派もある。

鍼灸学校の先生にしても、授業では学校用の教え方をするけれど、自分の所属する鍼の流派ではまったく違う鍼の打ち方をする場合もある。もうね、鍼灸の世界は数学のように答えはひとつではない。いろいろなやり方があるんだなと思い知らされた。

自分は患者役をやり、実際に刺さない鍼を受けたことがあるんだけどね。朝から夕方までみっちり鍼の勉強をして帰宅すると眠くて眠くてしかたがなくなるんだよ。なので、決まって鍼の勉強会が終わった後は、身体がぐてっとなった。

それは鍼灸学校の鍼の授業でも同じでさ。鍼の授業後は眠くなってしまう。そういう症状を瞑眩(めんげん)反応と言うみたい。
瞑眩(めんげん)反応は、身体が良い方向に行く前に眠くなったり、身体がだるくなったりすることです。

勉強会の時に目の見えない鍼灸師に脈を診てもらった際、

「石川さんは激しく脈打ってますね。声のイメージと違う脈ですよ」

なんて言われたこともあった。自分にしても脈の計り方のイロハは知らないけれど、先輩鍼灸師に囲まれて学ぶことができた。
※鍼灸は脈を診てから鍼をする流派も存在します。全員が全員、脈を診るとは限りません。

弱視や目の見えない鍼灸師の先輩方に連れられて、とあるお店に入った。店内は喫茶店風になっており、店員たちが食事を運んでいる。自分は鍼灸の勉強を始めてから、実技の授業の日は爪を切るし、日々、清潔な爪を心がけるようになった。

だからなのかな、ごく自然に店員の爪を見ると、綺麗に爪が切られていた。先輩鍼灸師が、

「ここのお店は障がいのある人たちが働いているんだよ」

と教えてくれた。ダウン症や知的障がいを持った人たちが働いているみたい。自分は、徹底的に綺麗な爪を心がけている店員たちの姿に驚いた。しばらくして店員が、注文したカレーライスとサラダと飲み物をおぼんに載せて持ってきた。

店員がテーブルに料理を置きにくいのではないかと思い、自分は店員からおぼんごと受け取ろうとしたら、

「おぼんは取らないでください」

なんて言われて店員にびっくりされた。自分はおぼんごと取って、一気にカレーライス、サラダ、飲み物をテーブルにのせようと思ったのだ。けれども店員からしたら、おぼんを取ろうとする不審なお客に映ったのかもしれない。

「あっ、ごめんなさい」

と謝り、自分は店員のおぼんからひとつひとつ料理を受け取った。カレーライスを口に含みながら、自分が気を利かせた行為が、相手にとっては予期せぬ行為に映ることもありえるのだなと学ぶことができた。まだまだだなぁ、自分はなぁと思いながら……。

目に見えないけれど、人生でいちばん大切なこと

目に見えないけれど、人生でいちばん大切なこと

 

この元記事はユーリオニッキ



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