上手く過去と決別出来ないあなたへ。

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こんにちは。Milkです。
明日から仕事に復帰することになりそうです。

明日は産業医面談。そこから、実際の実務復帰の日取りを決めます。

現場としては直ぐにでも現場復帰を望んでいるようです。

まぁ・・・そこはお上に任せましょう。一応、私も復帰できるように生活を整えてきたつもりですから。

素直に自分を受け入れる

その準備として、私のリワーク支援プログラムの終了報告を読み直していました。

当日は、それを産業医や課長にお見せするので。

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この1年半。いろんなことが起きたなぁ・・・としみじみと思い返しながら読み直しました。

過去と私

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私の生活が大きく変わったのは、20歳の時でした。
(自ら決意したことでした。それが今でも正しかったのかは分かりません。)

それまでの生き方。価値観。それらが大幅に変化するのを許容しなければなりませんでした。

もちろん、それまでの20年間も決して楽な生活ではなく、人間の本性を見せつけられ、失望し、私は人を信じない人間になりました。

この後遺症?は今でも残っています。

独りで生きていくと決めた

私の生い立ちは少し特殊で説明が難しいのです。

何が困難で、何が苦痛で、何が問題なのか。

それは、一般的な家庭では発生し得ないことだからです。

これに加え、貧困という問題も私を歪めていきました。

ですから、私は”独り”で生きていくと決めていたのです。

確かに彼女が出来たりもしましたし、今もRenaと付き合っています。

しかしながら、今までの私は「誰に話をしても理解できないし、逆に見当違いのアドバイスをされる。話しても無駄だ。」と考えていたのです。

半分は合っていましたが、半分は間違いだったと今では理解しています。

人間のキャパシティは小さい

これで上手く行っていたんです。ほんの数年前までは。

私は誰かに頼りたいと思いながらも、私の真ん中は誰にも見せませんでした。

誰も興味を持たないと思っていたからです。

面白半分で突く人たち。そんな問題の解決は簡単だと言う人たち。

自分の人生に置き換えて考えてくれる人は誰もいませんでした。

だから決めたのです。誰もこの苦痛を理解は出来ない。理解しようともしない。

このことは自分で解決する。

そして、同じように、何かしらに孤独を抱えている人に、私は、私だけは寄り添ってあげたい。

これは私のエゴだし自己満足です。この決意に私は今もぶれはありません。

しかし、私は自分のキャパシティを超えることをし始めていることに気がついていませんでした。

ただでさえ、自分の問題を圧縮しているのに、他の人の何かを空いた隙間に入れ込もうとする。

これは私を追い詰めていきました。

壊れるとき

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Photo by Jilbert Ebrahimi on Unsplash

それは”一瞬”でした。

ある時、私の身体は制御が不能になったのです。

感情も体も、その全てが頭と連動しなくなりました。

そして、過去のことが物凄い勢いで頭の中を駆け巡り、私はベッドの中でもがき苦しみました。

私の昔の決断が、私を苦しめている。私を間違いだと責めている。

誰に謝っているのか分かりませんが、私は小声で、「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい・・・」と布団の中で言い続けていました。

こんなにも私は過去に縛られているのか・・・

その時に実感したのです。

もう私と過去は決別出来たと思っていました。私は他人を助けることが出来る、他の人よりも困っている人に寄り添ってあげられる。

そう信じていました。

しかし、実際は違った。私は、結局は頼れる人を探し続けていたのです。

孤独に苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しみ続けている。

それを無視し続けていました。

自分を受け入れる

私には理想像がありました。

何にも負けず。何にも揺るがず。誰にでも愛を示し。誰にでも寄り添う。

それが私の理想でした。

いいえ。そういう人に助けて欲しかった。だから、私がその人になろうと思った。

それが正しい言い表し方でしょう。

だから、それと対比して自分が許せなかった。

過去に押し潰される自分が許せなかった。

私が乗り越えた時に、誰かが救われるなら、それがきっと誰かの光になるのだろう。

私は一人でも証明したかった。己の力で乗り越えていくことに固執したと言ってもいいでしょう。

でも、現実問題。人は自分の力と言うものは、それほど大きくはないのです。

大きな動物が水に濡れると、毛がぺったんこになって細い体があらわになるように。

まぁ、そんな感じです。

意外と自分の力とは、強そうに見えてそうでもないのです。

リワーク支援プログラムの期間中に何度も考えさせられることがありました。

それは、「一人で物事を抱えないこと。」

私は困りました。誰が理解出来る? 誰が癒やしてくれる?

私は自分の力の限界を理解することに抵抗を感じながらも、それを受け入れようと努力しました。

そして他人に頼ることも、その必要性を考え直して見ようと思ったのです。

過去との正しい決別の仕方は幾つかある

きっかりと過去を自分から切り離すと言うことは出来ません。

いえ。出来ないことですし、それはあなたを形作る上で大切なものになっています。

決別と言いながらも、本当は「過去を自分の中で正しく受け入れる」と言うのが的確でしょう。

こんな過去はいらない!と思うかもしれません。

私も思っていました。

でも、その経験はあなたを形作る要素になっていますし、他の人に対して何かしらの形で優しさを示す糧となるはずです。

あなたが経験したものはあなただけのもの。

それは辛かったことかもしれませんが、ある意味では貴重な体験で、他の人よりも深く相手に優しく出来るようになるはずです。

さて、相手に優しくする。相手のことを思いやる。

実はこのことは二の次です。

冷たいと感じるかもしれませんが、自分のことを上手く整理しなければ、他人の分は背負えませんし、心の余裕がなければ他人に優しく出来ません。

ですから、自分の心の中を上手く整理していきましょう。

そのままで良い

これは簡単そうで、非常に難しいことです。

自分が醜く見える場合は特にそうです。

しかし、あなたは自分が醜く見えても、他人からはそのように思われることはほとんどありません。

これは、私が彼女に勧められて最近読んだ本です。

タイトル通りのことが書いてありました。そして、その理由も解説されていました。

人は性格や、考え方、それが周りの環境に影響され形作られることが多いです。

と言うことは、どのような道を辿ってきたのであれ、今の自分が形成されることはいわば「当たり前」なのです。

自分を変えたいと思うこと。それは良いことだと思います。

でも、出発は「自分がこの状態にあることは、決して自分が悪ことをしたからだ。自分が悪いんだ。」と感じないことです。

ネガティブな自分でもいいのです。無理にポジティブに考え方を修正しなくてもいいのです。

あなたはあなた。得意不得意があるように、それは”あなた”なのです。

だから他人に攻撃的で良いとかそういうことではありませんよ?

でも、自分が今の状況にあることを、先ずは肯定して、自分を大切にすることです。

相手に攻撃的なのは、自分が寂しかったり、苦しかったり、助けが必要だと感じたりする裏返しなのかもしれません。

そんな自分を受け入れて、上手く自分を表現出来るようになりましょうと言うことが書かれていました。

文章で整理をしてみる

さて、先程の方法とは少しアプローチが異なる方法があります。

それは、物事の受け取り方を「事実」に照らし合わせて、過去の自分から影響を過度に受けないようにする方法です。

人それぞれ、物事の感じ方は異なります。

上司「これ明日までに終わらせといて。」

と言われたとしましょう。

ある人は、「自分が嫌われているから、期限を明日までなどとタイトなことを言うんだ。」と考えるかもしれません。

別の人は、「自分の力量からみて、明日には終わると判断したんだ。評価してくれている。」と考えるかもしれません。

あるいは、「こんなの明日までに終わるわけないだろ。あの上司は無能だ。」と考えるかもしれませんし、「厄介な仕事ばかり押し付けてくる。」と感じるかもしれません。

まぁ・・・要は、いろんな考え方や受け取り方があるのです。

これについては、過去に幾つか記事を書きました。

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最初に書き出すのは、「その時に思った感情」です。

好きに書いて良いんですよ?

そうすれば、すっきりすると思います。

次の段階として、別の角度で「事実」を洗い出してみます。

すると、自分の考え方の傾向とは別の角度から、落ち着いて物事が見えてきます。

最終的には、だんだんと気持ちが落ち着いてくるという方法です。

これは習慣化されていくと、書き出さなくても、頭のなかでするするっと思い浮かぶようになります。

極度に落ち込んだり、とても腹が立ったり・・・

それは自分の傾向です。いいんです。そのように感じるのは自然です。

いっぱい書き出したら、それを少しずつ整理してみましょう。

文章にして書き殴るだけでも効果はある

実は、アンガーマネージメントとして、「ただひたすらに自分の感情を文章にして書き殴る」というものがあります。

自分がそのように感じるのは当然だ!と自己肯定しながら、その理由を書き出していくのです。

ひたすらに書き続けて、スッキリしたら終わりです。

これも1つの自分の感情の制御の方法なのです。

因みに、ある大学ではテスト前に「不安な気持ち」を紙に書き出した生徒の方が、点数が良かったという実験結果が出ています。

私たちの感情は、一度形に出して何かに預けてしまうと、上手くバランスがとれるようになるのですね。

サポーターを見つける

今まで列挙してきたことは、自分の中で出来ることでした。

これと同じぐらい大事なことは、「人に自分のことを伝える」ということです。

私はこれが苦手でした。

相手を不快にするかもしれないし、肩透かしを食らうと自分がダメージを受ける。だから誰にも話さない。

それが私の結論でした。でも、人の心の中って意外と狭いのです。

我慢。我慢。我慢。と思うと膨張を始めます。

ここで大事になってくるのは、「精神的な部分」と「問題の解決の部分」を混同しないということです。

例えば、私の場合は以下のように分けます。

  • 精神的なサポーター:家族、友人、彼女
  • 手段的なサポーター:上司、家族、主治医

精神的なサポーターとは、感情的な部分をケアしてくれる存在です。話を聞いてくれる。自分の気持ちを話させてくれる。そんな存在です。

手段的なサポーターとは、問題を根本的に解決するために相談する存在です。仕事なら上司、病気のことなら主治医。精神的にケアはなくても、問題を解決するためにはここに話をしなければ解決がなされません。

私がしてしまっていたのは、これらを混同していたことです。

誰に話しても問題の解決にならない・・・

それはそうです。問題に直接的に関係する人物に話をしなければ、解決はしません。

また、そこに精神的なケアを求めたとしても、自分の心の距離が遠い存在であるために、そこまでは手が出せないということもあるのです。

ですから、適切にこれを分離することが大事です。

仮に、家族との関係性に問題がある場合は、カウンセラーという手段があります。

精神科医(医者)は、あくまでも症状に対して薬や考え方の補助をすることで生活が出来るようサポートを行います。

カウンセラーになると、その人の思っている感情や生い立ちについて理解し、アドバイスをしたり話を聞いたりするというサポートを行います。

ですから、会社のカウンセラーの制度を利用してみる、またはお医者様にカウンセラーを紹介してもらうということも出来ると思います。

お医者様からは「お稽古ごとと同じです。カウンセラーに通って、心を鍛える手助けをしてもらいましょう。」とアドバイスをもらいました。

私は、今現在は会社のカウンセラーの制度を利用しようと考えています。

家族との関係は悪くはありませんが、実は距離があります。

少しずつ改善を試みている最中です(笑)

最後に

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もちろん、これ以外にも方法はあると思います。

ここでお話がしたかったことは、手段がいろいろあるということです。

何か方法があるんだと思えると、少し心に余裕が出来ませんか?

精神科や心療内科に必ず通いなさい!なんて言いません。

でも、一回行ってみて、アドバイスをもらうことも出来ます。

通院しなくてもいいんですよ? 何かの糸口が見つけられればラッキーです。

そう思いませんか?

世の中、元気ピンピンのおじいちゃん、おばあちゃんが病院に遊びに来る時代です(笑)

なんか調子が悪いな・・・とか、自分ではどうしたらいいのか分からない・・・と感じたら、相談という形で利用してみるのはどうでしょう。

書籍を読んでみるのもいいです。
(私は、人と直接に話しできる方が安心するので、病院やリワーク支援プログラムがいいかなと思いました。)

過去に何かを背負っている。

そこに辛さの大小はありません。他の人の方が辛いとか、大変だ、とかないんです。

あなたにしか分からない辛さがあるのですから、それは比較出来ません。

だから安心してください。

自分を上手く受け入れられるようになるといいですね。

この記事を読んで下さった方。心から応援しています。

私は素人ですから、アドバイス等がちゃんと出来るか分かりませんが、何かありましたらどうぞ。

それでは今回はこの辺で。

adios!!

この元記事はMilkのメモ帳



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